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竹は古来より日本人の心に触れ、愛されてきました。 静かな山中にたたずむ竹、風に揺られて鳴る笹の音は、心を落ち着かせる音色です。 また、美しい緑色の姿で凛として存在する姿は、 日本人の美の源のように感じさせられます。 竹は丈夫で弾力性があり、加工も容易なため、古来より日常生活に広く用いられてきました。 笊(ざる)、籠(かご)をはじめ、茶道具、仏具、武器、武具そして、 竹垣や家の内部など建築物にまでにみられます。 竹製品の最古のものは、 縄文時代後期の青森県の是川(これかわ)遺跡から出土した籃胎(らんたい)漆器です。 また、正倉院の華籠(けこ)(散華に用いられる花を入れる籠)に見られるように、 早くから高度な技術を持っていたと考えられます。 竹工芸のその後の発展は茶道具と深い関係を持ってきます。 茶は栄西禅師によって禅と共に中国からもたらされました。 当初は中国の影響のあるいわゆる唐物が好まれました。 その後、村田珠光、武野紹鴎らの茶人、そして寂び茶を大成した千利休によって、 日本独自の美が作り出されました。それらは唐物に対して「和物」と呼ばれ利休の桂川籠や 久田宋全の宋全籠などに代表されます。 更に煎茶道の広がりが竹工芸の需要に大きく影響していきました。 江戸時代中期に売茶翁(ばいさおう)は形式化した茶道に対し、 長崎に住む中国人(清人)から直接煎茶を学び茶道の刷新を計りました。 そして江戸後期には小川可進が煎茶の手前、作法から作り出し煎茶道の確立に大きな役割を果たしました。 中国の文人の生き方を理想とした当時の人々により、 煎茶も中国色の強いものが好まれ、唐物や唐物写しの道具が愛用されました。 また、煎茶では抹茶よりも自由に幅広く竹工芸品が用いられ、 棚物、提籃、炭斗り籠、花籠、器局などが作られました。 その中で最も手のかけられたのが花籠であり、 特に煎茶の中心地であった大阪では多くの籠師が活躍することになります。 江戸時代から明治にかけて煎茶が隆盛期を向かえ、大阪の堺では初代早川尚古斎 初代田辺竹雲斎、初代前田竹房斎などが輩出され活躍していきます。 |
是川遺跡 藍胎(らんたい)漆器 |
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初代 田邊 竹雲斎 |
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蝉(せみ)籠 初代 田邊 竹雲斎 |
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