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二代 田辺 竹雲斎   (本名 利雄)


二代田辺竹雲斎は

明治43年5月9日大阪府堺市で

初代竹雲斎の長男として生まれます。

幼少の頃から竹芸をはじめ、

大正4年5歳の頃、大阪三越にて

初代の個展が開催され、

従兄弟の光雲斎と二人で

席上製作(デモンストレーション)を行い、

亀甲編みを見事に編み周囲の人を驚かせました。

大正8年、9歳の時、

初代竹雲斎が文人の教養として漢学者の

土田江南の元に書を習わせました。

晩年よく描いた絵は小さい頃から学んだ

南画や書が根幹にあります。


大正14年、15歳の時初めての個展を

開催するにあたり、初代より小竹雲斎の号を授かります。

21歳で帝展に

「播龍図盆(ばんりゅうのずほうぼん)」を

出品初入選。

網代で編んだ龍の絵が浮き出る盆で、

1週間ほとんど睡眠をとらず

風呂場にこもり製作をした作品です。

厳しかった初代竹雲斎に初めて

褒められた作品でした。

以後帝展、新文展、日展(文部省主催)に

出品していきます。

日展では審査員、評議員を務め、

昭和27年日展「螺旋紋花籠」特選朝倉賞受賞、

その後昭和34年大阪府芸術賞、

昭和56年には勲四等瑞宝章、

昭和58年に紺授褒章を受けます。

               螺旋紋花籠

              荒編みの作品 
                 

透かし編みと荒編み

初代竹雲斎は唐物を得意とし、

重厚な作品を制作しましたが、初代の没後、

昭和12年に二代竹雲斎を襲名し

独自の作品を生み出します。

特に透かし編みは二代竹雲斎の代表する技であり、

最も技術の必要な作品です。

竹の美しさは透かしにあると考え、

亀甲編み、鱗編みを中心とした透かし編みを

数多く製作しました。

昭和27年に製作した「螺旋紋花籠」は

亀甲透かし編みの代表作品です。

もう一方では鳳尾竹(ほうびちく)の

煤竹(すすだけ)という素材に魅力を感じ、

鳳尾竹を用いた荒編み(荒く自由に編んだ籠)の

制作に力を入れました。

繊細で技術が必要な透かし編みに対し、

竹の持つ自然の力や自分の感性で作る荒編みは、

二代竹雲斎の魅力を最も引き出した作品です。


透かし編みを三重にして製作した

「流紋花籠(りゅうもんはなかご)」

そして鳳尾竹荒編みの代表作の一つである

「飛雲(ひうん)」は

東京国立近代美術館に所蔵されています。

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